Imagination is Dead(Blog) / 散逸する思考のメモ。 (SBM) / Twitter /
22 Aug 09
ジャンクで終わりたくなければ勉強したまえ。表現に貴賎はない、は社交辞令だ。現実には、何よりまず、表現には優劣があり、優劣に基づく貴賎は存在する。そしてその貴賎を自信を持って判断することができなければ、鑑賞者としては全くの役立たずだ。創作者としては、言うまでもなかろう。

ついでに言うと、鑑賞者にも勿論、優劣に基く貴賎はある。
2009.8.10: 日記
18 Aug 09
一人の男が、生まれたばかりの子を抱いて、ある聖者のもとを訪れた。
「この子をどうしたらいいでしょうか。貧弱で不具で、死ぬに値する命すらないのです」

聖者は恐ろしい大声を上げた。
「殺せ。そして三日三晩、ずっと腕に抱いてなさい。自分でもこのことを忘れないように。
そうすれば二度と、子を作るべきでない時に子を作ろうとしないであろう」

男は肩を落として帰っていった。
残酷な忠告をした、といって多くの人たちが聖者に詰め寄った。子供を殺せといったからだ。「しかし、生かしておくほうが、よっぽど残酷なことではないか?」聖者は言った。
— ニーチェ『悦ばしき知慧』
16 Aug 09
(via puppet)

(via puppet)


12 Aug 09
08 Aug 09
 ——ええ(とエワルド卿は「人造人間」の見分けがたない暗黑の顔をぢつと見据ゑながら答へた。)、まさに神の作品です。
 ——では(と彼女は言った)、感嘆なさいませ。けれどあの聲がどうして<「どうして」に傍点>生じるのかを知らうとはなさいますな。
 ——知らうとしたら、どんな危險があります? (とエワルド卿は微笑しながら訊ねた。)
 ——あの歌から神様が姿を消してしまはれます! (とハダリーは靜かに答へた。)
— リラダン『未來のイヴ』